コラム
Column
年表で見る和菓子の歴史
四季折々の美しい姿や、繊細な味わいが魅力の和菓子。
その種類は豊富で、地域や季節、行事などさまざまな要素が組み合わさって生み出されてきました。
日本人の美意識や文化の溶け込んだ和菓子ですが、いつ生まれたものなのか気になったことはありませんか?
今回は和菓子がいつごろ生まれ、どういった時代を経て変化してきたのか、その歴史をひも解きます。
年表で見る和菓子の歴史
和菓子の起源は縄文時代にあった?
和菓子の始まりは、縄文時代までさかのぼります。
当時の人々は野山で採集したどんぐりなどの木の実を粉砕し、水でアクを抜き、混ぜて丸めたものを食べていました。
この日本最古の加工食品が、和菓子の原型だと考えられています。
弥生時代、餅菓子の原型が誕生
弥生時代になると木の実ではなく、水稲耕作の始まりによって米や穀物の粉を用いて餅や団子のような、餅菓子の原型となるものが作られていました。
また、蒸したうるち米を丸めて保存食や行事食としていた話が伝承されています。
【遣唐使が持ち帰ったお菓子による影響】
縄文時代、弥生時代と時を経て、日本は中国(唐)へ遣唐使といわれる使節を派遣して、文化や技術の交流を図るようになりました。
この遣唐使が持ち帰ったさまざまな文化の中でも「唐菓子(からくだもの = からがし)」と呼ばれる菓子は、和菓子へ大きな影響をもたらしたとされています。
唐菓子は米、麦、大豆、小豆などをこねたり、あげたりして作られたお菓子で、形によって名前が異なりました。
この唐菓子を参考として、和菓子の起源となる形がようやく誕生したのです。
こうした文化の伝来があり、平安時代には朝廷に献上されるものとして和菓子が普及しました。
実際『源氏物語』の作中においても「椿餅(つばきもち)」や「青差(あおさし)」 などの和菓子が登場しています。
美しく加工された和菓子の誕生は、この頃です。
【茶道の流行、和菓子の変化】
鎌倉時代(1185~1333年)の初期、栄西禅師が持ち帰った茶を発祥とし、日本で喫茶の文化が広まります。
時は流れ、室町時代(1336~1573年)の後期には喫茶文化が庶民にまで普及しました。
その中で、かの有名な千利休たちにより、茶の文化が「わび茶」として大成。
これに伴い、和菓子もさらに発展を遂げます。
例えば、羊羹(ようかん)の始まりは、中国に留学した禅僧が日本に持ち帰った「点心」と呼ばれる軽食が元であることはご存知ですか?
当時の羊羹は、現在の寒天と餡を用いたものではなく、羊の肉やゼラチンが入った汁物でした。
禅僧は肉食を禁じられていたため、麦や小豆の粉などで羊肉を代用していました。
その代用品が汁物から離れて誕生したのが「羊羹」の始まりなのです。
ちなみに羊羹の「羹」の字、一文字だけだと「あつもの」と読み、本来肉や野菜を入れた熱いお吸い物を表します。
現在の羊羹を想像すると何も関わりがないように思えますが、もともと汁物だったことを考えると納得がいきますね。
【日本に大激震?南蛮菓子の到来】
安土桃山時代(1568~1600年)に渡来した南蛮文化は、日本のお菓子文化にも大きな影響をもたらしました。
南蛮菓子で主に使用された材料は小麦粉や砂糖、卵などです。
これらの材料を用いた菓子は当時の日本では珍しく、人々は新しい食べ物に目を奪われたことでしょう。
特に大きな影響を与えたのは、長崎港から広まった砂糖の存在です。
日本にも砂糖はありましたが、一般的に広く普及していたわけではありません。
1571年、ポルトガルとの貿易のために長崎港が開港されました。
そこからさまざまな調理法や香辛料、そして砂糖が日本全国へ広まるようになったのです。
今でもボーロやカステイラ(カステラ)、金平糖、ビスカウト(ビスケット)、パン、有平糖(ありへいとう)、鶏卵素麺など、そのままの形で、もしくは和菓子の原型として今なお残されています。
【江戸時代、和菓子の飛躍的な発展】
戦乱の時代が終わり平和になったことで、日本はさまざまな文化へ目を向け、その発展に注力することが可能となりました。
和菓子文化もその一つです。
意匠や菓銘など、細かいところに工夫を凝らした和菓子が次々と誕生するようになりました。
例えば、四季折々を表現する目にも美しい「練切(ねりきり)」は、江戸時代に京都で生まれ、そのあと全国に広まったとされています。
この時代における和菓子の発展として、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗による砂糖作りの推進が功を奏したことも、大きな影響となったのでしょう。
砂糖は本来サトウキビから作られます。
砂糖の国内生産の推奨をきっかけに、各地でサトウキビが生産されるようになり、その中には現在の「和三盆」の生産地である香川県高松も含まれていました。
和三盆は従来のサトウキビよりも細い「竹糖」を使用し、製作工程にもより手間をかけることで一般的な砂糖よりも粒子が細かく、上品な甘さが特徴です。
吉宗によるこの政策から砂糖の国内自給率は向上しました。
白砂糖や黒砂糖、和三盆など精製方法や原料の異なる砂糖が生産されるようになることで、江戸時代の後期ごろには、一部の庶民の間でも砂糖を用いた和菓子が普及するようになりました。
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【和菓子を食べてみれば文明開化の音がする】
明治時代になると西洋文化の伝来により、
和菓子にも当然大きな影響を与えました。
中でも西洋の調理器具は今まで日本になかったものが多く、和菓子に使える調理方法の幅はかなり広がりました。
例えば、栗饅頭(まんじゅう)やカステラ饅頭などの焼き菓子は、オーブンの来日により誕生したと言われています。
今まで少なかった焼き菓子の多くが、明治以降に誕生することになったのです。
写真で見る和菓子
【餅もの】
餅米、うるち米およびその加工品を主原料として製造
例:おはぎ、赤飯、大福餅、道明寺、柏餅、すあまなど
【蒸しもの】
生地を成形し、蒸し上げて製品とするものの総称
例:紅白蒸饅頭(こうはくむしまんじゅう)、黄味しぐれ など
【焼き菓子】
焼いて作ったお菓子。その製法によって名称が変わる
平鍋もの、流し込み型もの、オーブンものなど
例:クッキー、ケーキ など
【流し菓子】
寒天や砂糖、餡を主材料とした流動状の生地を、型に流して成形したお菓子
例:錦玉羹(きんぎょくかん)、水羊羹(みずようかん) など
【練り菓子】
餡餅粉を材料とし、つなぎや砂糖を加え、強くもみ、こね、練り上げて生地とし、成形してすぐに仕上げるもの
例:練切(ねりきり) など
季節を表現する和菓子
【おかもの】
別に調整した製品や、そのほかのものを組み合わせて造形した和菓子
例:もなか など
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